釧路市の町名の由来

ページ番号1006191  更新日 2022年10月14日

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町名は、昭和7年7月に実施された釧路市字地番改正の際に、当時のそれぞれの地域の由緒等を考慮して決められたものです。
ここに記載している内容は、釧路郷土史考(昭和11年1月15日発行)より一部引用しております。

<各町別説明(町名は、現在使われている町名を記載しています)>

河南部(※現在ではこのような呼び方はあまりいたしません。ご了承下さい。)

南大通(みなみおおどおり)

命名理由

旧名幣舞町1丁目以南真砂町の大部分にして幣舞橋より南西に進み第一火防線に至る本市河南部枢要の地区に属し一流旅館を始め各種小売商店櫛比し拓殖銀行支店、12銀行支店等の所在地にして廉売市場弍、活動写真館2等がある中央の地方費道は22米巾に拡張の計画あり既に其一部2丁目3丁目に於て実費せるを以て南大通りと命く

大町(おおまち)

命名理由

旧名入舟町の一部及洲崎町の全部に亘り南大通に併行す運輸関係至便にして諸会社の事務所又は卸商の店舗に適し現に釧路1等郵便局、電話局、安田銀行支店、北海道電燈株式会社の営業所、釧路新聞社並に南大通に跨る廉売市場2等がある本市河南低区の中央に位し其縦貫せる道路は将来知人西端岸壁より大川町川岸通を経て材木町迄一直線に貫通し市道中最も有力なる路線に属するを以て町勢伸展の運命を有するに鑑み大町と名付く

入舟(いりふね)

命名理由

旧名入舟町の一部及苧足糸の一部に属し大半は明治34年の埋立地である釧路川左岸内港部川口に達する沿岸線を有し現今主に漁業家の営業所又は住宅並に造船所、鉄工場、石油販売所等が多く共同魚菜市場の所在地である軈て築港事業の進捗に伴い沿岸延長436米(239間8)水深7米88糎(26尺)の緊船岸壁完成に至らば水運関係により頗る伸展性に富める商業地区である魚菜市場は毎年百数十万円の鮪其他の鮮魚を取扱い居り漁港完成の暁は浜町に移転するならんとも之に交るに岸壁荷役により利用の価値は寧ろ向上するものと見られている水運関係に因み一部境界を変更して旧名を踏襲し入舟町と称す

港町(みなとまち)

命名理由

旧名苧足糸、真砂町、知人の一部に跨り西海岸に臨港鉄道が貫通して同会社営業事務所、臨港駅、水上警察、税関支署等のある鉄道の外側は築港工事の進捗に伴い附与せられるべき埋立地数万坪を生じ荷役関係に便なるを以て倉庫用地に利用さるべく将来は埠頭船入澗等の築造が行われる予定になっている港湾施設の為め枢要の地点たるに因み港町と命名す

知人町(しりとちょう)

命名理由

旧名知人と称し現今漁民の居住する者多く太平洋炭礦株式会社の貯炭場、築港事務所並に其工場等も此の地域にあり臨港鉄道は此の地区に環状線を書いて中央を貫通する西部港内に面し37万余円を投じて築造したる市営埋立地(昭和8年中売卸)がある岸壁には2,000噸級1、4,000噸級1、6,000噸級1の船舶を同時に繋船し得る設備があり臨港鉄道会社の経営になっている又南防波堤上に太平洋炭礦会社経営に係わる電力応用自働運転の運炭軌道と高架桟橋等が有て石炭荷役は頗る文化的と謂われて居る
本地区は釧路岬燈臺の所在地であり名所旧跡頗る多きを以て旧名を尊重し知人と命く

米町(よねまち)

命名理由

旧名米町の大部分にして南西高地は神社寺院の境内相連り東南の末端遊廓の所在地たり当町本通は小売商店相連り他は概ね住宅にして凡て高燥地帯なるを以て将来とも住宅地区として有望たり米町は当市町名の濫膓にして米屋の恩恵を賞で称えたる由緒に鑑み原名を保存して米町と称す

弁天ケ浜(べんてんがはま)

命名理由

旧名鬼呼と称し港外海岸長蛇の蟠れる如き地形にして時としては太平洋の荒浪岩盤を洗って打寄する壮観真に神秘的光景を呈す此北方厳島神社は俗に之を弁天様と呼び明治前より産土鎮守として崇敬し来りしも近く鶴ヶ岱公園地之還座の計画あるに依り敬神の名残りを地名に止むるの意を以て弁天ヶ浜と名付く

弥生(やよい)

命名理由

旧名米町及び春採の一部に属し概ね住宅地に適す東営寿常高等小学校の所在地にして寺院教会堂等あり区内凹凸多し南方に太平洋を望み空気清新春は丘陵に花を摘み青緑を楽しみたる印象を遺す意味に於て弥生町と命く

浦見(うらみ)

命名理由

旧名浦見町の大部分及真砂町の一部を包含す地勢三角形を成し本市高臺方面枢要の地域にして3丁目4丁目は商業地に適し現に商家軒を並ぶ日進寿常高等小学校、実科高等女学校の所在地たり釧路地方及区裁判所検事局釧路国支庁、釧路営林区署、消防組常備事務所等がある9丁目辺は紅燈の巷にして他は住宅地に適し港内を一望に収むる地勢なるに因み旧名を保存し浦見町と称す
此町一部は夷名「ウラリマイ」(四季靄のかかる義)と呼び現に改正前迄23筆は原名を遺せり

宮本(みやもと)

命名理由

旧名浦見町の一部及春採の一部にして概ね住宅地に適し釧路聨隊区司令部及釧路刑務所等の所在地にして地形東方に傾斜し日光を受け西風の障り少きを以て市営住宅官舎並に私人住宅等多し元宮本郡長時代釧路町及釧路農会に附与されし所なりしも農会は全地私人に売却市有地又其一部を刑務所用地に附与したる為め現今市有地としては市営住宅敷地外僅かの地積を残すのみとす宮本千萬樹の徳を記念する意味により宮本町と命く

千代ノ浦(ちよのうら)

命名理由

旧名春採の一部にして其の西端海岸は夷名「ヰヨロト」(此の奥に沼あり厚司織を浸す義)と称す南は太平洋岸に沿い東北部は春採湖に接し清き海水を擁し風光絶佳なるを以て追遙に適す現今魚類の化製場多しと雖も漁港完成の暁は漸次移転さるべきものとす湖水に丹頂の鶴を見ることがあるに因み千代の浦と命く

柏木町(かしわぎちょう)

命名理由

旧名春採の一部に属す本地区起伏多し丘上より春採湖を望む風色頗る佳なり住宅地に適し現に住宅組合法により建設されたるもの等文化的住宅数十戸を算す湖畔埋立地は千代の浦の其れと共に遊園地および水泳プールの完成により面目を一新せん元柏樹の密生地たるに因み柏木町と命く

富士見(ふじみ)

命名理由

旧名幣舞橋2丁目並に春採の一部に属し庁立釧路中学校及中江女学校釧路幼稚園の所在地たり概ね高臺にして現今住宅櫛比す出世坂より公園地に至る道路線中央を貫通し沿道は商業地に適し小売商家多し此方面より阿寒富士を始め雌雄阿寒岳其他の連峰を一望に収め風色絶大爽快を覚ゆるものあり因て富士見町と命く

幣舞町(ぬさまいちょう)

命名理由

旧名幣舞町1丁目の一部にして本市の中央に位し高地なるを以て官庁所在地に適す現在釧路市役所、元の水道事務所、市立公会堂、簡易図書館、市立病院、北海道庁釧路土木事務所、釧路税務署、釧路測候所、簡易保険健康相談所等がある
明治30年頃迄は竪穴の完全なるもの多数ありしも概ね破壊して現今殆ど其形を見ず久寿里酋長メンカクシの居住せし所にして市役所の前に土人のカムイを祀れる所あり常に木幣(イナオ)を挿して土人之を崇敬し来れるにより開拓使の時夷語「ノサウシ」を改め命名したる由緒を尊重し幣舞町と称す

大川町(おおかわちょう)

命名理由

旧名茂尻矢の一部並に新埋立地の一部にして幣舞橋南詰より釧路川左岸に属する地区なるを以て舟運の便第一の位置たり凡て商業地に適す現今南側沿道は小売商櫛比し沿岸道路側には釧路信用組合、衛生組合、商工会議所、公設質屋等の事務所並に釧路専売局支署及其の倉庫等がある又貸ボートの経営者数名ありて夏季は盛に利用されている川岸至便の地区たるに因み大川町と命名す

住吉(すみよし)

命名理由

旧名茂尻矢並に春採の一部に属し四面丘陵を以て囲まれ随所に清水の湧出するものあり起伏甚だしく頗る変化に富み風尠き地区なるを以て園芸に適す高臺に市営住宅70余戸あり住宅地区として最も佳良なる地にして住み心地よき土地なるに因み住吉町と命く

千歳町(ちとせちょう)

命名理由

旧名春採の一部に属し南は春採湖を望み風光明眉住宅地に適す西端に湖畔病院あり此辺時に丹頂の鶴の飛翔を見る鶴は千年の齢を保つと云う故事に因み千歳町と命く

鶴ケ岱(つるがだい)

命名理由

旧名春採の一部にして概ね公園地域とす本地区の特色は本市最高の丘陵地にして往時は鬱蒼たる自然林を形成せるも惜むらくは現今鳥害又は盗伐の為め大半樹木を失いたり植樹の好適地なれば将来頗る有望の公園地となるべく嘱目されて居る上水道貯水池、ろ過池等は其高地にあり2ヶ所のグラウンドを有し西端に県社の境内予定地あり既に土工は略々完成せるを以て遠からず厳島神社は此地に遷座されるのであろう東南は春採湖に接し風光絶勝時に丹頂の鶴の飛来するを見る又本市市街地区中唯一の樹木地帯たるに因み鶴ヶ岱と命く

城山(しろやま)

命名理由

旧名茂尻矢の一部並に新埋立地の一部に属し庁立釧路高等女学校市立城山寿常高等小学校の所在地たり中央は地方費道札幌根室線貫通す概ね商業地に適し釧路川沿岸は倉庫用地に適す土人の砦趾あるに因み城山町と命く

材木町(ざいもくちょう)

命名理由

旧茂尻矢の一部に属し釧路川左岸に沿い蜿蜒たる地勢にして北端別保川の咽喉に達す現時概ね木材貯蔵に利用され天寧駅釧路木材倉庫及日本人造肥料会社等の工場等がある釧路川沿岸は市並に民営の埋立地あり鉄道引込線を利用して荷役に便せり将来益々木材関係に利用多きに因み材木町と命く

緑ケ岡(みどりがおか)

命名理由

旧名別保原野の一部にして長方形の丘陵地帯たり多少の起伏あり住宅地に適す現今概ね草原地又は畑地たるも将来市の膨張と共に凡て宅地に利用せらるべし青緑の候野外に花を摘み蝶を追いたる光景を印するの意に於て緑ケ岡と命く

貝塚(かいづか)

命名理由

旧名別保原野の一部にして北端は別保川を隔てて釧路村に接す東釧路駅の所在地にして根室本線より釧網線及臨港線等の分岐点たり概して工場用地に適し現今新田煉乳工場は工事中であり北海道製酪組合聨会工場も計画中である南方丘上は住宅地に適す東端に市営上水道の原水取入口の設備あり中央に貝塚のあるに因み貝塚町と命く

武佐(むさ)

命名理由

旧名別保原野の一部及「フレムサ」にして北端は別保川を隔てて釧路村に接し東端は凡て釧路村に隣接す50区劃の内尤も大地積とす概ね農民部落たり将来は郊外住宅地として大半は利用さるべし原名を修正して武佐と命く

湖東部(※現在ではこのような呼び方はあまりいたしません。ご了承下さい。)

春採(はるとり)

命名理由

旧名春採の一部にして北端春採湖に接す臨港鉄道は湖岸を通過して海岸に出ず湖の東端より奥は太平洋炭礦株式会社の鉱業地にして其事務所並に之に附帯せる諸般の設備を始め倶楽部あり市立湖畔小学校あり多くの社宅を以て一市街を形成す西半部は概ね土人給与地にして土人部落の名を遺せるも和人と混住して農事又は漁業に従うもの数十戸あり原名夷語ハルトリ(沼の両側にて食糧を採るの義)を重んじ春採と称す

紫雲台(しうんだい)

命名理由

旧名春採の一部及静欲牛とす共同墓地及火葬場の所在地にして葬送者休憩所、地蔵堂、養老園等がある有縁無縁の霊を供養するの意を加味し仏縁に因み紫雲臺と命く

興津(おこつ)

命名理由

旧名興津内及春採の一部にして北半部は農耕地に適し海岸は採藻漁業に適す船附場ありて産業振興の運命あるに因み旧名オコツナイ(小川有曲り曲りて沢に続く義)を修正して興津と命く

益浦(ますうら)

命名理由

旧名獺津内と称し採藻漁業に適す又石炭礦ありて明治3年試掘せるをはじめとし屡々小規模の採掘を行う者ありしも現今太平洋炭鉱会社の礦区に属す産業益々盛なる海浜なるに因み益浦と命く

桂恋(かつらこい)

命名理由

旧名桂恋村と称し多くの小字あり明治前より漁業採藻の為め開発され特に一部落を構成せる所にして附近の児童を収容すべき目的の市立桂恋小学校あり漁業採藻は此海岸最も優秀の場所であるカツラコイとは夷語にて水鳥の浪に集ると云う義にして頗る詩的情緒味ある字義に因り原名を重んじ桂恋と称す

三津浦(みつうら)

命名理由

旧名ビッシャム、マタイトキ、シユクトクナイ等の小字多し共に採藻漁業に適し小舟の船附場あり斯業の根拠に便なるものあり東方は昆布森村に接す此浜大體三つに分けられしを合併せるに因み三津浦と命く

桜ケ岡(さくらがおか)

命名理由

旧名ハルトリの一部及桂恋の一部にして頗る大地積たり現今植林地及農牧業の部落たると雖も将来は郊外田園生活の住宅地として相当利用さるるものたるべし本区内に太平洋炭礦株式会社の第二坑及風口等がある桜樹を以て名あるに因り桜ケ岡と名附く

高山(たかやま)

命名理由

旧名高山と称せるも其沿革も不明なると共に殆ど其名を用いたるものなく春採の一部として取扱われ来れり概ね林野に属す東方昆布森村に隣接し植林地に適す本市中海抜最高を示せるに因み原名を適当とし高山と称す

河北部(※現在ではこのような呼び方はあまりいたしません。ご了承下さい。)

北大通(きたおおどおり)

命名理由

旧名西幣舞の一部にして南は幣舞橋詰より北は釧路駅に至る中央は12間巾の地方費道貫通す尾もなる建築物として釧路市立消防本部、職業紹介所、拓殖銀行支店出張所、鶴屋デパートメンストア、廉売市場3、等にして大小の商店櫛比し凡て建築壯麗本市繁栄の中心たり2丁目、3丁目の間は俗に稲荷小路と称し露店の許可区域なるを以て昼夜群衆雑踏殷賑を極む東側1丁目及至7丁目迄末広町に対し旗亭カフェー等軒を並べ江燈の街たり西側は黒金町に面して旅館多し大正8年道路巾拡張により住民自ら北大通と称せるを以て其因縁を尊重し北大通と命く

末広町(すえひろちょう)

命名理由

旧名西幣舞の一部に属し商業地区にして南半分は旗亭カフェー軒を並べ紅燈街を形成す橋北幼稚園、劇場2、活動写真館1、等あり河岸は埋立地にして未だ空地多きも頗る重要視され将来は相当繁盛すべき地域たり本区の中央は曩に結成せる町内団体あり末広会と称せるに因み末広町と命く

栄町(さかえまち)

命名理由

旧名西幣舞の一部にして地理的関係末広町に準ずべき地勢とす現今稍々劣勢なるもの市の発展に伴い漸次向上すべき運命を有し前途大いに多望なるに鑑み栄町と命く

川上町(かわかみちょう)

命名理由

旧名西幣舞の一部にして栄町に準じ商業地区たり旭町に跨り市立旭寿常高等小学校がある同校は本市小学校中最も多数の児童を収容す中央道路は公園西の口道路に通じ将来渡船を以て連絡せしも昭和8年久寿里橋の架橋に依り大に面目を一新せるに依り軈て河岸附近は相当繁栄を示すべきものと見られている此方面通商川上の名あり因て川上町と命く

旭町(あさひまち)

命名理由

旧名西幣舞の一部にして現今木材の陸揚げに便なるを以て諸種の製材又は木工場多く就中防腐工場は大規模のものなり中央には対岸材木町に連絡すべき渡船場と北方には省線鉄道の鉄橋がある旭に向う地勢なるに因み旭町と命く

古川町(ふるかわちょう)

命名理由

旧名阿寒太(夷名阿寒川の川口の義)と称し東北方アシセツチリ川を隔て釧路村に隣接北は鳥取村に接し西は旧阿寒川(廃川)を抱擁す釧路川河岸は雄別炭礦株式会社の貯炭場兼積込場所に利用す同会社の鉄道は中央を迂回し新釧路駅の所在地たり此町には釧路川治水工事の附帯事業として釧路川より鳥取村を経て新釧路川に至る間阿寒川廃川を利用し川底巾約18米余の運河開鑿工事中なるを以て之が完成の暁は工事用地として利用せらるるに至るべし阿寒川の廃川あるに因み古川町と命く

松浦町(まつうらちょう)

命名理由

旧名西幣舞の一部にして三角形を構成す現今釧路駅及其附属建物の外殆ど利用されざるも稍々湿地なるを以て適当の工事を施さんか頗る有望なる地区たるべし予て懸案たる鉄道線路を北方に移転し一直線に変更するの日来らば商業地として枢要の地区たるべし此町東端旧阿寒川廃川地に沿い鳥取村細く侵入し境界錯綜を極む今より76年前松浦武四郎は不毛の久寿里場所即ち此町の如き泥炭地たりとも東蝦夷地第一の都会たるべしと絶叫したるは超達見として敬意を表すべきである此の因縁を記念の意味に於て松浦町と命く

黒金町(くろがねちょう)

命名理由

旧名西幣舞の一部とす西半分は鉄道用地にして浜釧路駅の所在地たり民有地は岐線の便あり現今木工場数個所あり西端13丁目は釧路駅に接し東側は北大通に対し旅館多く鉄道用地には職員官舎多く本地区は東部官営鉄道の基点と定められ釧路市最初の停車場所在地にして鉄道に関係深きに因み黒金町と命く

錦町(にしきちょう)

命名理由

旧名西幣舞の一部にして西方は鉄道用地に南方は釧路川に接す沿岸地先は個人の埋立許可地にして目下工事中に属す商業地区として頗る至便の地たり現今釧路魚菜市場の支場あり海運業、運送業、木材商等対外関係の商人多し未開の地に艱苦奮闘して軈て苦境に錦を飾る縁喜に因り錦町と命く

幸町(さいわいちょう)

命名理由

旧名西幣舞の一部にして河岸3丁目4丁目は鉄道省所属の仮設水陸連絡場に利用され中央は札幌鉄道局所属の工場北端は機関庫の所在地たり将来仲浜町方面に鉄道省海陸連絡埠頭完成の暁は大部分解放せられんか頗る至便枢要の商業地区となるべし本区には町内会団体あり幸倶楽部と唱うるに因りて幸町と命く

浪花町(なにわちょう)

命名理由

旧名噸化及西幣舞の一部を包含するものにして中央稍々東寄に地方費道貫通す此線中央部は巾10間余の火防線あり凡て商業地に適す未だ其発達遅々たるものあると雖も現今多数の営業倉庫と撰穀工場等並立し北海道農産物検査所釧路支所があり農産物の集散地区を形成す将来鉄道省海陸連絡設備の完成に伴い一大発展を示すべし然らば其繁盛大阪にあやからん事を祈り浪花町と名付く

南浜町(みなみはまちょう)

命名理由

旧名噸化の一部にして西方港内に面し現今土地倉庫株式会社、三井物産株式会社支店等を有すと雖も海浜の施設未成の為め利用少きも目下出願中に係る市営船入澗及岸壁倉庫用地等完成に至らば釧路港第一の枢要地帯たるべし河本沿岸最南部に属するを以て南浜町と命く

仲浜町(なかはまちょう)

命名理由

旧名噸化の一部にして鉄道省海陸連絡設備を実施せられるべき地点にして民有地は将来漁業又は化製場に利用せるも連絡工事の着手に伴い一変して重要商業地区と化すべし河北沿岸中央たるを以て仲浜町と命く

寿(ことぶき)

命名理由

旧名噸化の一部にして市立寿寿常高等小学校の所在地たり現今小売商店多く並に漁業者又は海産加工場化製場等がある将来は枢要の商業地たるべし児童の健康を祈る意味に於て寿町と命く

宝町(たからまち)

命名理由

旧名別途前の一部にして現今鉄道線路の東方に偏在し鳥取村に隣接す漁業に接近せるを以て漁業家の居住地として最も利便なれば軈て漁業完成の暁には漁民街たるべし物産に関係深き地区なるに因み宝町と命く

浜町(はまちょう)

命名理由

旧名途前の一部にして海面は釧路港の副港とし其輸廓を築造せるものなり私営漁港築造の計画あり数年を出ずして竣工を見るべし完成の暁は頗る繁盛を示すものとされている水産関係深き地区なるに因み浜町と命く

新富士町(しんふじちょう)

命名理由

旧名別途前の一部にして新富士駅の所在地たり王子製紙会社の関係により利用の途多し軈て漁港完成の暁は鮮魚、塩乾魚、肥料等新富士駅を利用するに至り面目一新すべし従て本地区の大半は水産加工場又は化製場用地として利用の価値あるものたるべし駅名に因み新富士町と命く

大楽毛(おたのしけ)

命名理由

旧名大楽毛と称し本市最西端に位し西部白糠郡大字庶路村に東部は鳥取村に隣接す大楽毛駅の所在地にして明治時代迄白糠郡との境界は「オタノシケ」川と称する小川なりしが大正9年大洪水の為め阿寒川の分水溝大破壊を生じ其本流オタノシケ川に合し新阿寒川となるに至れり本地区には吾国第1の称ある産馬市場あり近来国際的に名声を博せる日本釧路種を始め多数の馬匹は毎年糶売に附せられ大楽毛駅より本道及び内地各方面へ輸送さる大楽毛馬市を以て全国に知られたるに因み原名を尊重して大楽毛と称す

※古い文献より引用しているため、やや難読な部分が一部ございます。ご了承下さい。

このページに関するお問い合わせ

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