春採公園の歴史(本多静六氏による「釧路公園」設計)

ページ番号1016818  更新日 2025年6月20日

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 春採公園は、明治時代より公園計画がありましたが、大正5年、日比谷公園、奈良公園をはじめとする日本の大規模な公園の設計に携わり、「日本の公園の父」と呼ばれた本多静六氏によって、「釧路公園」として設計されたものです。
 鶴ケ岱から茂尻矢、お供山(城山)、柏木町を含んだ広大な区域に春採湖を中心とした道路を設け、自然動物園や自然植物園、遊園地や運動場、養魚池、郷土館を作る計画であったようです。
 大正8年、国有未開地の払い下げを受けたものの整備は実施されず、昭和12年、本多氏に設計変更を依頼。しかし、戦時中のため設計は手つかずのまま終戦を迎えます。
 昭和23年、変更後の設計区域そのままで都市計画決定され、昭和24年から昭和26年にかけ「ひょうたん池」を中心に事業を実施。これが現在の鶴ケ岱公園になります。
 その後、法改正や情勢変化などにより昭和37年に鶴ケ岱公園と分離され、現在の春採公園を形成しております。
 

本多静六氏による設計原図(大正5年)
本多静六氏による設計原図
(大正5年)
本多静六氏による改造計画図(昭和12年)
本多静六氏による改造計画図
(昭和12年)

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