【博物館】ヤマの話を聞く会「雄別炭山の33年 戦中・戦後、そして閉山」(6月26日[日曜日])

ページ番号1002664  更新日 2022年8月25日

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ヤマの話を聞く会 第5回「雄別炭山の33年 戦中・戦後、そして閉山」

写真:ヤマの話を聞く会「雄別炭山の33年」ポスター


太平洋炭砿から釧路コールマインへ引き継がれた日本唯一の坑内掘り炭鉱には、世界屈指の先進的機械化・保安技術があり、その確立までには多くの炭鉱マンたちの努力がありました。
また、雄別炭砿や尺別炭砿など、閉山していったヤマにも優れた技術と炭鉱マン、そして人々のくらしがありました。
釧路市立博物館では、炭鉱マンの奮闘、ヤマのくらし、そして釧路の「技術資産」としていま一度見直すことも目的に、経験された方々にお話を伺う『ヤマの話を聞く会』を今年度も継続して実施します。

昭和12(1937)年に坑内員として雄別炭砿に入った横山さん。
当時はまだあった「友子制度」の記憶。
そして戦時色が増していく炭鉱。軍需物資石炭、食料減少、朝鮮人労働者の増加、軍隊への召集。
昭和19年には「急速転換」(制海権の喪失で釧路から海上輸送ができないため労働力を移動させる国策)により、終戦まで筑豊炭田(福岡県)の三菱飯塚炭鉱で働きます。

坂本さんは函館椴法華に生まれ、その後樺太へ家族で移住。三菱塔路炭鉱で庶務掛として勤務します。昭和23年になりようやく引き揚げ、浦幌炭砿へ。
同鉱の閉山により雄別炭砿へ配属となります。

戦後は労働組合の役員としても活躍された横山さん・坂本さん。
雄別炭山の戦中・戦後、1万人のくらし。そして閉山前後のお話をうかがいます。

お話:横山俊雄さん・坂本義継さん(元 雄別炭礦)

日時
6月26日(日曜日)午後1時30分~4時
会場
釧路市立博物館 1階 講堂
参加
無料・申込も不要です

これまでの「ヤマの話を聞く会」

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