現場で学ぶ「石炭基礎講座」庶路・本岐炭砿跡を探訪(終了しました)

ページ番号1002661  更新日 2022年8月25日

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釧路には、大正時代に始まった阿寒川水系の水力発電、バイオマス・太陽光発電などの再生可能エネルギー、そして環境配慮型の石炭火力発電など、多様なエネルギーの現場があります。
市立博物館と釧路青年会議所エネルギー戦略委員会では、それらを実際に見学し、エネルギーの基礎から実際、そして歴史から現在、未来を学ぶバス見学会を実施します。

当日のようす

写真:本岐炭鉱1
本岐炭鉱 選炭工場跡
写真:本岐炭鉱2
本岐炭鉱 密閉された坑口
写真:庶路炭鉱1
庶路炭鉱 精炭ホッパー
写真:庶路炭鉱2
庶路炭鉱 ズリ山
写真:説明中
西庶路錦公園の「発祥之地」碑
写真:参加者
西庶路の旧炭鉱社宅街を歩く

15回目となった石炭基礎講座、今回も多くのお申し込みがあり抽選となりました。
35名の参加者は博物館より「まなぼっとバス」でまず明治鉱業本岐炭鉱へ。
本岐炭鉱跡は、坑口・原炭ホッパー・選炭工場・選炭工場・精炭ホッパー・積み込み施設・そしてズリ用ホッパーにズリ山まで残り、石炭生産システムを学ぶには最適の炭鉱跡です。
ついで庶路炭鉱跡に移動し、戦後の釧路炭田では通気用を除いては唯一の立坑、そして選炭工場跡やズリ山を見学しました。
西庶路市街へ戻り、西庶路コミニュティセンター内の「白糠炭田資料室」、また庶路炭鉱OBのご講話、そして旧炭鉱社宅街の街並みを巡り、帰途につきました。
ご案内いただいた、元庶路炭鉱在住の白木さん、本岐炭鉱OBの福間さん、庶路炭鉱OBの住谷さん、また立ち入りを許可くださった王子木材緑化株式会社釧路営業所に、この場を借りて御礼申し上げます。
*通常、庶路・本岐炭鉱跡は許可なく立ち入ることはできません

明治鉱業 庶路・本岐炭鉱

明治鉱業は地方財閥であり、麻生・貝島と並ぶ「筑豊御三家」の安川財閥の中核として、九州や朝鮮半島を中心に鉱山・炭鉱を所有していました。

釧路炭田にはやや遅れて進出、1938(昭和13)年に庶路で鉱区を買収し開発、庶路炭鉱とします。また庶路本岐炭鉱から本岐炭鉱を買収しました。1943(昭和18)年には両鉱で16万トンを生産しましたが、釧路炭田の他の炭鉱と同じく、1944年8月に「急速転換」により、庶路が保坑、本岐が休坑となります。

終戦後、庶路はすぐに、本岐も1947(昭和22)年に再開。また両炭鉱は庶路鉱業所の庶路坑・本岐坑となります。昭和30年代には、庶路坑では豊富な庶路川の水を利用して水力採炭も行われました。また1961(昭和36)年に竪坑が完成しましたが、その効果は余り得られないまま1964年に閉山、本岐坑は1962年に再び本岐炭鉱として分離、5カ年の期限付きで操業、1969(昭和44)年に閉山します。

最大の出炭は、1963(昭和38)年の35.2万トンでした。

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