企画展「東奔西走僕らの発掘物語~市内高校郷土史研究部の軌跡」

ページ番号1002454  更新日 2022年10月29日

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期間中には3,298名の来館者の皆様にご覧いただきました。ありがとうございました。
ページ下部に展示室に設置していた「ご意見ご感想ノート」にお寄せいただいたご感想を抜粋して紹介しています。ご覧ください。

この企画展は昭和30~40年代を中心に釧路で実施された遺跡発掘調査に参加した高校郷土史研究部・考古学部などに所属していた高校生の活動にスポットをあて、彼らの活動内容を発掘・採集した土器・石器、部会誌、活動年表や調査した遺跡分布図などをもとに紹介するものです。
当時は行政側に遺跡発掘体制が十分に整っていない場合が多く、手弁当で調査に参加する学生・生徒の協力を得て、釧路の遺跡調査は進められていきました。今回ご紹介する資料から、遺跡調査にひたむきに取り組んでいた高校生の思いを感じ取っていただければ幸いです。

  • 期間 平成24年9月15日~11月11日
  • 場所 釧路市立博物館2階特別展示室
  • 主催 釧路市立博物館・釧路市埋蔵文化財調査センター
  • 共催 釧路考古学研究会

講演会のご案内

関連事業として、講演会「高校生による遺跡の調査・研究について」を開催します。
講師は公益財団法人北海道埋蔵文化財センター副理事長の畑宏明氏です。
畑氏は道内の遺跡発掘調査を長年手がけ、釧路にも学生の時から調査に参加され、当時の高校生たちとも発掘調査を通して交流をお持ちでした。
畑氏からは、昭和30年代から40年代にかけて氏が関わられた調査のエピソードなどをまじえて、当時の高校生の様子をお話ししていただきます。

  • 日時 平成24年10月27日 土曜日 午後2時から3時
  • 会場 釧路市立博物館講堂
  • 入場 無料

各高校資料紹介

阿寒高校郷土研究部

1955(昭和30)年に郷土史研究部として発足し、旧阿寒町(現釧路市阿寒地区)を中心に調査活動を行っていました。主な調査遺跡としてはかつて阿寒高校が所在していた阿寒町布伏内のシュンクシタカラ遺跡・ポンタッコプチャシ跡や阿寒湖畔のオンネサルンペツ遺跡、仁々志別川沿いの下仁々志別竪穴群などがあり、沼尻遺跡や緑ヶ岡遺跡の調査にも参加しています。また、布伏内地区に残されていたアイヌの物送り場の調査も行っており、展示資料もアイヌ文化期の資料を中心に展示しています。

写真:阿寒高校の展示
阿寒高校郷土研究部資料

釧路工業高校郷土史研究部

1949(昭和24)年に考古学同好会として発足し、市内高校の中で活動団体の発足が一番古いのが釧路工業高校です。東釧路貝塚、緑ヶ岡遺跡、沼尻遺跡、大楽毛遺跡、春採台地竪穴群、雪印裏遺跡、緑ヶ岡STV遺跡と市内の名だたる発掘調査に参加したほか、厚岸町や旧音別町(現釧路市音別地区)にも調査に出かけています。沼尻遺跡は釧路工業の郷土史研究部々員によって発見されました。

写真:釧路工業高校の展示
釧路工業高校郷土史研究部資料

釧路湖陵高校考古学部

考古学部の発足は1955(昭和30)年ですが、1949(昭和24)年の東釧路貝塚の調査には釧路工業高生とともに調査に参加しています。釧路工業郷土史研究部と同様、東釧路貝塚、緑ヶ岡遺跡、沼尻遺跡、大楽毛遺跡、春採台地竪穴群、雪印裏遺跡、緑ヶ岡STV遺跡と市内の名だたる発掘調査に参加しており、昭和50~60年代にかけては土器の焼成実験など実験考古学的な活動もしており、部誌「エカシ」からも彼らの精力的な活動を見ることができます。

写真:釧路湖陵高校の展示
釧路湖陵高校考古学部資料

釧路第一高校地学考古学部

1964(昭和39)年に地学部が母体となり、その後地学・考古学部と改称されました。学校は1978(昭和53)年に廃校となりますがその間市内の遺跡発掘調査にくわえ、釧路村(現釧路町)、鶴居村、白糠町、旧音別町(現釧路市音別地区)、羅臼町、網走市、青森県と幅広い地域で分布調査を行っています。釧路市埋蔵文化財調査センターが保管している資料点数は2万点をこえ、彼らの精力的な活動がうかがえます。

写真:釧路第一高校の展示1
釧路第一高校地学考古学部展示資料1
写真:釧路第一高校の展示2
釧路第一高校地学考古学部展示資料2

釧路江南高校考古学部

1963(昭和38)年の考古学研究部発足以降、東釧路貝塚、大楽毛遺跡、春採台地竪穴群、緑ヶ岡STV遺跡などの調査に参加しており、部誌「竪穴」の発行も行っています。

写真:釧路江南高校・釧路星園高校・釧路北陽高校の展示1
釧路江南高校考古学部・釧路星園高校郷土史研究部・釧路北陽高校考古学同好会展示資料1

釧路星園高校郷土史研究部

1963(昭和38)年に郷土史研究同好会として発足し、その後郷土史研究部となります。市内唯一の女子高ですが遺跡調査にも積極的に参加しており、東釧路貝塚、緑ヶ岡遺跡、大楽毛遺跡、春採台地竪穴群、東釧路2遺跡などの調査のほか、雪印裏遺跡、桂恋フシココタンチャシ跡、三津裏遺跡の高校生が参加した比較的後半の遺跡調査にも星園高生の名前が見られます。展示資料には発表用に作られたOHPシートなどちょっと変わった資料もあり、外部にも情報発信していた姿勢が垣間見られます。

写真:釧路星園高校の展示
釧路星園高校郷土史研究部発表用OHPシート

釧路北陽高校考古学同好会

1964(昭和39)年に考古学同好会が発足、その後地学・考古学部に、さらに地学同好会に考古班が追加される形に変遷します。資料としては生徒会誌「北陽」で同好会の活動様子紹介している記事以外は釧路市埋蔵文化財調査センターに所管している資料はありませんが、緑ヶ岡遺跡、大楽毛遺跡、東釧路貝塚のほか、北斗遺跡、雪印裏遺跡、桂恋フシココタンチャシ跡、三津裏遺跡と、高校生が参加した比較的後半の遺跡調査にも参加しています。

写真:釧路江南高校・釧路星園高校・釧路北陽高校の展示2
釧路江南高校考古学部・釧路星園高校郷土史研究部・釧路北陽高校考古学同好会展示資料2

その他の資料

活動史略年表・調査遺跡分布図

各高校考古学部・郷土史研究部の活動略年表を幅3.2mのロール紙にまとめました。また彼らが調査に赴いた遺跡の分布図も紹介しています。

写真:活動史年表1

写真:活動史年表2


年表の一部分です。赤字は高校生が参加した発掘調査名です。彼らの積極的な活動が見て取れます。

緑ヶ岡遺跡

各高校考古学部・郷土史研究部の調査を語るうえで欠かせない緑ヶ岡遺跡の出土土器も展示しています。

写真:緑ヶ岡遺跡の展示

釧路学生考古学研究会・釧路高校郷土史研究会

釧路市内では2度ほど高校の垣根を越えたグループが誕生します。昭和24年に発足した釧路学生考古学研究会と昭和38年に結成された釧路高校郷土史研究会です。
企画展ではその2つの足跡の解説パネルや会誌など関連資料も展示しています。

写真:釧路学生考古学研究会の展示


写真:釧路高校郷土史研究会の展示

部会誌コピーの閲覧

各高校考古学部・郷土史研究部が発行した部会誌のコピーが展示室で閲覧できます。
彼らの遺跡調査の思いや当時の高校生の考え方などが垣間見られます。

写真:部会誌

「ご意見ご感想ノートより」

展示室に設置していた「ご意見ご感想ノート」から、お寄せいただいたご感想を紹介します。
なお、掲載したご感想は年代表記などの統一による修正以外は原文ままとなっております。

「私の母校の歴史をかいまみれ、大変感動致しました。」

「とてもよい企画展です。こういう地域性の強い展示が地域博物館の存在を光るものにしています」

「釧路の高校生たちがいかにいきいきと活動していたのかがよく伝わってきます。さらなる研究が期待できます。」

「地域の博物館の在り方をどのように考えていけばいいのか、ヒントを得ることができました。」

「当時の高校生の調査参画は、調査そのものだけでなく、作業を通して様々なこと学んだであろうと思います。この企画展が現高校生に届くことを祈ります」

「大変興味深い企画です。高校生が博物館を居場所に、他の高校生ともつながり、考古学を専門家とともに学んでいた!」

「北海道旅行に来てこの企画展に出会い若い人たちががんばっておられるのに感動しました」

「昔、高校生がこのような活動をしていたなんて知りませんでした。楽しく見ることができました。」

「各高の部活の展示が大いに興味深かったです活動史略年表の盛と衰の落差にまちの勢いが何事かを語っていて雄弁です」

当時考古学部・郷土史研究部等に在籍されていた方からもご感想をいただきました。

「昭和45年度から47年度湖陵考古学部におりました。エカシ第7号をまとめたのが昨日のことのように思い出されます」

「昭和46年、47年、48年度に湖陵考古学部の部員として活動していました。40年ぶりに部誌「エカシ」に載せた自分の文章と対面した。とても懐かしいです」

「いやー懐かしかった。活動当時の記憶が浮かんできました。「毎日新聞」の記事に自分の名が載っているのにはビックリ!新聞で名が出たのは最初だったのでは。また来てじっくり。関係者がもっとこの場に来られますよう」

「素晴しい企画です。青春のひと時を発掘に汗を流したことを忘れません」

このページに関するお問い合わせ

生涯学習部 博物館 博物館担当
〒085-0822 北海道釧路市春湖台1番7号 博物館
電話:0154-41-5809 ファクス:0154-42-6000
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