【博物館】企画展「雄別炭砿閉山50年~雄別・尺別・上茶路~」(12/12~2/28)
【博物館】企画展「雄別炭砿閉山50年~雄別・尺別・上茶路~」
太平洋炭砿とともに、釧路炭田の有力炭鉱だった雄別炭砿(雄別・尺別・上茶路)。そこには、多くの炭鉱マン・鉄道マンの仕事、その家族の暮らしがありました。
1970(昭和45)年の炭鉱閉山・鉄道廃止から半世紀、当時を資料や写真から振り返ります。
期間・会場
期 間 : 2020(令和2)年 12月12日(土)~2021(令和3)年 2月28日(日)会 場 : 釧路市立博物館 2階特別展示室(入館料が必要です)
休館日:12/14・21・28~1/4・11・12・18・25・2/1・8・11・15・22・23
主催など
主 催:釧路市立博物館
共 催:釧路市立博物館友の会
協 力:古潭・雄別歴史資料室、白糠町、白糠町教育委員会
釧路市阿寒町行政センター(炭砿と鉄道館「雄鶴駅」)、音別町行政センター
釧路市教育委員会阿寒生涯学習課(阿寒町歴史資料収蔵室)、音別生涯学習課(音別町歴史資料展示室)
会場のようす
雄別炭砿(株)のあらまし
1919(大正8)年、実業家の芝義太郎らが「北海炭砿鉄道(株)」を設立、現在の釧路市阿寒町雄別で炭鉱開発を行う。1921(大正10)年には生産を開始するが、1923(大正12)年の鉄道開通(釧路~雄別炭山)により本格化する。しかし関東大震災、第一次大戦後の不況で経営困難となり、翌1924(大正13)年に三菱鉱業が買収、同社子会社の「雄別炭砿鉄道(株)」となる。雄別炭砿では、1938(昭和13)年の雄別通洞の完成など、規模の拡大とともに坑口や諸施設の集約など近代化を進め、1941(昭和16)年には戦前・戦中期の最大となる年66万4千トンを生産する。また1928(昭和3)年に尺別炭砿、1936(昭和11)年に浦幌炭砿を、1935(昭和10)年には石狩炭田の茂尻炭砿(現赤平市)を買収するなど、経営規模の拡大も図る。
終戦後は財閥解体により1946(昭和21)年、三菱鉱業から独立する。戦後復興のための石炭増産により労働者数は急増したが、朝鮮戦争後の不景気では一転、合理化が行われ、1954(昭和29)年に浦幌炭砿は閉山となる。
1959(昭和34)年、鉄道部門は雄別鉄道(株)に分社化、雄別炭砿鉄道(株)は「雄別炭砿(株)」となる。機械化・効率化を推し進め、1964(昭和39)年には雄別炭砿は史上最大となる生産量年72万6千トンを記録、また同年、新たに上茶路炭砿(白糠町)を開坑、国鉄白糠線も開業する。この頃は傘下4炭鉱(雄別・尺別・茂尻・上茶路)で150万~180万トン規模の生産を誇った。多角経営でも知られ、企業グループとしては石炭以外の売上げが過半を占めるまでになっていた。
しかし昭和40年代、石炭業界の退潮は急激に速度を増していく。1969(昭和44)年、茂尻炭砿は事故後閉山、そして資金繰りの悪化により雄別炭砿(株)は1970(昭和45)年2月27日に雄別・尺別・上茶路の各炭砿を閉山、自主廃業(会社解散)を選択する。雄別鉄道・尺別鉄道も閉山2ヶ月後の4月15日の運行をもって廃止、炭鉱周辺は無人地帯に戻った。
雄別・尺別・上茶路炭砿が学べる施設(あわせてご訪問ください)
古潭・雄別歴史資料室 常設展示 たくさんの雄別炭砿・雄別鉄道の資料や写真、また精巧な手づくり木製模型も見どころです。 布伏内コミュニティセンター内(無料) |
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布伏内郵便局 写真展 郵便局ロビーいっぱいに炭鉱と鉄道に関する展示。雄鉄SL「205」の木製模型にも注目。地元発の雄別炭砿グッズもあります。
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音別町郷土資料展示室 縄文時代から近代まで、釧路市音別町の歴史を展示。尺別炭砿に関するコーナーがあります。 |
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炭砿と鉄道館「雄鶴駅」 雄別炭砿と鉄道の歴史を次世代へ残すべく、1987年に開館。SL「C11 65」も保存されています。
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雄別鉄道 雄別鉄道でも活躍した「8722」は、明治末期に製造された国産化初期のSLです。冬季はイルミネーションも。
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イオンモール釧路昭和内郵便局 釧路市立博物館サテライト展示 |
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*布伏内・釧路愛国・イオンモール釧路昭和内の各郵便局には、雄別炭砿・鉄道をデザインした風景印・小型印(記念消印)があります(イオンモール釧路昭和内局は2/28(日)まで)。
お願い
ご来館にあたっては、マスクなどの着用、咳エチケット、周囲の方と十分な間隔を保つなど、新型コロナウイルス感染拡大の防止へご協力ください。館内には消毒液を設置していますので、ご利用ください。状況により期間変更・中止となる場合があります。